この本の中にとても面白い記述がありました。
第7章の「仕事を記録しよう」の冒頭で、このようにあります。
私がワークログをとりはじめたのはもう5年ほど前になりますが、最初は驚きの連続でした。驚きすぎて、何が何だか分からなくなったくらいです。
驚きの理由をひとことで言えばこうです。
「自分の時間感覚は支離滅裂だ!」

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20分くらいかかったかなと思うと、実は84分もかかっていたそうです。その差は1時間以上。30分以上やったと思っても実際は13分だったりするということが、ざらだったといいます。感覚よりも実際かかった時間が長い場合と短い場合があるのは面白いですよね。
感覚と現実の間にはズレがあるのです。
これを知った著者は、特に中身の濃い作業については、短い時間で切り上げるようにしているといいます。濃い作業には疲労を伴うため、小分けにしているのです。
この「感覚と現実のズレ」については、私もワークログを取ってみて実感しました。
職場に、割込みおばさまがいて「メールした件だけどねー」とやってくる。私は、仕事を中断されるのが嫌で「また来たー」と思っていました。感覚的には、30分くらい割り込まれていると思っていたのに、実際は7分だったり、4分だったりするのです。心理的に嫌だと思っているので、長く感じていたのです。
実際は短い時間だと知り、私ってなんて心が狭いのだろうと思いました。別に仕事の邪魔しに来るわけではなくて、年の功でいろんな情報とかネットワークがあって、私のサポートにわざわざ来てくれているのに、何を嫌がっていたのだろうと深く反省。
他にも、私は集中力があると思っていたけど、ログを取ってみると。。。ひどいものでした。
何かやりながら、別のことが気になりネットで調べ、さらに別のことを調べ、誰かから電話がかかってきて話して、対応して、さて、私は何をしていたんでしたっけ?ということが、実に多いことか。集中どころの話ではありません。脱線に継ぐ脱線です。
ログを取りたくても取れませんでした。
一つのタスクにケリをつけず、次々、すこしずつタスクをやっていたのです。その結果、どのタスクも中途半端で終わっていないのです。
これではダメだと、脱線したくても、ひとつひとつのタスクを終えてからという癖をつけなければ、なりませんでした。
「記録を取ったら意外な発見の連続」は、ワークログに限らず、他のログについてもいえると思います。例えば、食事のログ。食べていないと思っていたけど、こんなに食べていた!など、感覚と現実のズレはありますよね。
この感覚と現実のズレが解消されていくと、本書のいうところの「記録するだけでうまくいく」が実現できるのではないかと思います。
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期待のライフログ本『記録するだけでうまくいく』に寄稿させていただきました
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タグ:ライフログ